追悼 牧阿佐美先生

 昨年10月20日に私の恩師であり新川崎シティアーツのスーパーヴァイザーを務めていただいた牧阿佐美先生が88歳でご逝去されました。私にとって阿佐美先生は、大切なかけがえのない方です。ロイヤルバレエ学校で師事したマリオンレイン先生に東京に行くならMiss MaKIの所に行きなさいと紹介されてからはずっと阿佐美先生が私の先生でした。

 先生には踊る技術はもちろんダンサーとしての心がけ、礼儀や立ち振舞い、様々な事柄を教えていただき、舞台を降りてからは教師として橘バレエ学校や各分校の指導に携わる場をいただきました。先生のバレエのビジョンはずっと先をみてのお考えであり何年か経ってあの時のお話はこの事なんだと思える事が多々ありました。今は日本のバレエ界にはなくてはならない方を亡くしてしまったんだと痛感しています。これからは先生と過ごした幸せな思い出を宝物として大切にしながら少しでもその教えを生徒に繋いでいきたいと思います。

             押領司博子


柏木 重乃

バレエから離れていた時期に阿佐美先生のクラスを見学する機会がありました。このレッスンを受けてみたい…その一心でバレエ学校に入り、ダンサー・教師そして衣装の仕事へと繋がることになりました。特に衣装では、未経験の私に様々な挑戦をさせて頂きました。失敗をした時、指摘とフォローはしてくださっても、責められた事はありませんでした。そのおかげで続けることが出来たのだと思います。阿佐美先生 ありがとうございました。

寺門 希和

阿佐美先生との想いと共に

小学3年生で橘バレエ学校に入学して、初めて阿佐美先生にお会いしたのは学校公演の照明合わせの時でした。滅多にお目にかかる事の出来ない先生が目の前にいらっしゃり、物凄く嬉しかった記憶があります。高等科にもなり、当時は通常レッスン時に阿佐美先生がサプライズでご指導下さる事が多々ありました。今思うと最高に恵まれていたと感じます。その際に磨りガラス扉越しに定番の姿(赤いTシャツと白のヒール)が見えた時のスタジオ内のざわめきと緊張感は今でも鮮明に覚えてます(笑)

時を経て指導者を目指し歩み出した頃に本校の予科クラスを初め、様々な場所で指導をするチャンスを与えて下さった事は本当に感謝しきれません。

教師課程クラスではいつまでも子供扱いだったりして、先生の中では私達は昔のままのイメージらしく少し複雑な心境でしたが、それがまた嬉しくもありました。

もう私達にご指導して下さる事は残念ながらありませんが、指導しているときに出る言葉は先生から言われ続けていたことばかり・・・

阿佐美先生が私達に残して下さった事、技術だけではなくのダンサーとしてのあり方など、牧っ子として少しでも多く、今後も後進に伝えていけたらと思います。

大好きな阿佐美先生、これからも頑張りますのでどうぞ見守っていて下さい!!


鈴木 規緒美

私は阿佐美先生に出逢わなければ…

5年生の発表会の時、トネリコのヴァリエーションを踊り終え次の出番待ちをしていた休憩中、神奈川県民ホールの上手廊下で阿佐美先生から声をかけて頂き褒めて頂いた事を今でも鮮明に覚えています。これがきっかけとなり私は先生のAMを目指しました。もし合格していなければ母はバレエを辞めさせるつもりだったそうです。

先生のレッスンを受けて育った学生時代を経て入団し、20歳過ぎに怪我をし本格的な挫折を味わいました。その後も交互に3回繰り返し、2度目からは現役復帰を諦めようかと本気で思うのですが、レッスンを再開する度に配役表に名前が入っていて、先生が復帰せざる得ない環境にして下さった事で私はバレエを続けられました。その後も足の調子が良くなる事は無く、引退するタイミングを毎公演考える日々が続き、先生の振り付け作品を練習中にアキレス腱までが痛くなり、切れる覚悟で臨むか、役を降りるかなど色々と考えました。先生が続けさせてくれた現役だと言う事が私的にはとても明白だったので、この先復帰が出来なくても先生の作品で現役を終えたいと思い、役を減らしてもらいながらなんとか踊り終えました。

…数年後、発表会で三谷先生が私達に振り付けをして下さる事になり、教師一同で踊らせて頂く機会がありました。阿佐美先生も観に来て下さり、引退後にはじめて踊ったので終演後に一緒に写真を撮ってもらいました。先生が笑って写って下さった写真を見た時は何とも言えず嬉しかった…今見返してもとても嬉しくなります。

先生のレッスンの時、ピアニストさんは石井さんでした。石井さんもお亡くなりになり、育てて頂いた大切な方を2人同時に失ってしまいました。

2020年の年末、先生にご挨拶に行った時に「わざわざ会いに来てくれたの!有り難うね!」と言われてビックリしてしまいました。こちらこそ何時も有り難うございますなのに…。

私は先生と出逢わなければ、この道にはいなかった、バレエも続けていなかったと思っています。頂いた教師の道でも先生から学んだ事を1つでも多く自分の教え子に伝えていける様に頑張ります。

…先生の事が大好きでした。

本当に有り難うございました。

吉田 浩子

先⽣に初めてお会いしたのは地元スタジオの発表会で先⽣のお⺟さまである橘先⽣の作品『⾓兵衛獅⼦』を上演する際、遥々⻘森までいらっしゃいました。

圧倒的なオーラにとても緊張した事を覚えています。幕中、私と⼀つ上のお姉さんとやり取りをするシーンで、振りを付け⾜してくださいました。ほんの数⼗秒の演技ですがとても丁寧にご指導いただき、何⼗年経った今も鮮明に覚えております。

上京し先⽣のお膝元でご指導いただけるチャンスが沢⼭あったにも関わらず、⾃分の実⼒の無さに打ちのめされ⾃らその機会を無駄にしてしまった期間もありました。それでも「バレエ好きなんでしょ」と怠惰な私をたくさん⿎舞してくださいました。先⽣とお話しする時はいつも最⾼潮に緊張していたため沢⼭頂戴したお⾔葉、失念しているものもありますが、いただいたご指導、先⽣の凛とした佇まい、スタジオにいらした時の緊張感、厳しい眼差し、チャーミングで優しい笑顔、声、これからもずっと忘れずに⼤切にし、教え⼦の⼀⼈として恥じぬよう努めてまいりたいです。


日髙 有梨

先生に出会えなければバレエダンサーとしての私はいなかったかもしれない。先生との出会いはそれ程私の人生で大きく、私の人生で幸運なことでした。バレエとは何か、バレリーナとは何か、2世ダンサーの厳しさ、バレエ界の厳しさ、更には礼儀や気づかいなど細かいことから惜しむことなく教えていただきました。時には家族のように過ごさせていただいた時間も大切な大切な思い出です。

きっと誰もが無理だと思っていた私のバレリーナになる夢、先生は可能性を見つけて時間を惜しむことなく指導してくださいました。現役を続けるかどうか悩んだ時期に大怪我をしましたが、先生の「有梨の代わりに誰かをとは考えていないから。待ってるからね。」と言っていただいたことに私は救われました。

きっと誰よりも一緒に過ごさせていただいた時間が長い生徒は私なのではないでしょうか。

いまだに先生がいらっしゃらない事に実感がありませんが…先生からいただいたたくさんの宝物を胸にこれからもバレエと共に生きていきます。いつかあなたを育ててよかったと言ってもらえるように…。

尾形 結実

入団して少し経った頃、教師クラスに行くと「まだキャストに入れてもらえていないの?頑張っているのかもしれないけど、なぜだかをよく考えなさい。」とお話しをして下さいました。

どこかで「わたしは皆のように、公演に出れるような事は無いんだ」と自分に言い訳をしていたところが有り、周りの人との差に嫌気がさし、バレエ団に行く事すら嫌になってしまった時期があったので、とても心に響きました。それをきっかけに自分のやるべき事が明確になり、目標を持ち毎日のお稽古に励む事が出来たのだと思っています。

いつも先生が求める物にはほど遠く、自分の出来る100%をやり切ったつもりでも、まだまだ全然足りないわよ!出来てない!と。辛くもありましたが、先生から名前を呼ばれなくなったら、注意をして頂けなくなったらおしまいだ。という思いがあったので、先生の厳しいお言葉が逆に支えでもありました。

バレエ団を退団する事をお伝えしに行った際には、わたしがお話しがあります。というと笑顔で「なぁに?結婚かしらね?」とおっしゃっておどけていらした先生。三谷先生も一緒になって冗談を言って、わたしが話し易い場にして下さいました。先生は一流で有りながらもチャーミングな一面が垣間見れる時が多々ありました。お人柄にも惹かれる方が多かったのは、そういう一面も有ったからなのかもしれません。

先生から教えて頂いた教えでの大切な事、教師としての心構え、バレエを仕事にするという事への責任、それらを心に留めてこれからもバレエと関わっていきたいと思います。

阿佐美先生、本当にありがとうございました。どうかゆっくりお休み出来ていますように。